皆さま、ザ・シンフォニーホールでお待ちしています!
大植監督としては音楽監督9年間を総括する記念すべきコンサート。
ファンの皆さまも特別な思いで本番を心待ちにされていると思います。

特別な思いという意味では、大植監督ももちろんそうです。
監督はいつものように弦楽器のトップ奏者と握手をした後指揮台に立ち、話し始めました。
「今着ているこの服、1995年の初顔合わせの練習に着ていたものです。 特別な日なので着てきました!」

何と云う事でしょう!
あの‘阪神淡路大震災’の1995年5月、監督みずから「自分も少しでも震災復興のためにお役に立ちたい」との申し出により実現した‘阪神淡路大震災チャリティコンサート’(マーラー/交響曲第1番「巨人」を演奏)の練習の時に着ていた服を着てきたというのです。

オシャレな監督ならではのこだわり。
初めて出会った時の服を着て特別な区切りのコンサートの練習に臨むとは・・・

先ほど9年を総括と言いましたが、初めての出会いから数えると実に17年の関係です。
監督とは、翌1996年にも「ひょうごグリーンネットワーク・チャリティコンサート」と題した震災復興絡みのコンサートで再び共演(このときはマーラー/交響曲第5番を演奏)。
この2度の演奏が決め手となり、朝比奈隆の後任監督に選ばれる事になるわけです。

創立名誉指揮者 朝比奈隆が亡くなったのは2001年12月。
翌2002年から後継監督選びが始まり、実に7年前と6年前に2度共演し、その後長らくご無沙汰状態だった指揮者大植英次に白羽の矢が当たる事になります。
当時、大植英次はアメリカのメジャーオーケストラ、ミネソタ管弦楽団の音楽監督として活躍中でした。
大植英次は大フィルの要請を受け、2003年4月のシーズンから音楽監督を引き受ける事になりました。
監督就任コンサートは2003年の5月「第368回定期演奏会」で、その後語り草となるマーラー/交響曲第2番「復活」の演奏が行われるのですね。
歴史を振り返っている間に、随分練習が進んでいます


フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット。
そして、トランペット、トロンボーン、ティンパニー。
お馴染みのメンバーが大フィルブルックナーサウンドを奏でます!

コントラバス以外の弦楽四部と管楽器、打楽器の練習風景です。

下手サイドから見た木管楽器群、演奏中の光景です。

同じく下手サイドから見たワーグナーチューバ、ホルン、トランペットと打楽器です。
この撮影位置、ホルンとワーグナーチューバの生音が直撃、凄い迫力です!

そうこうしていると、練習も後半。
監督は白いジャケットに衣替えです。
指揮台に上がった監督、指揮棒を構えず語り始めました。
「今着ているこの服、2003年5月マーラー「復活」の練習初日に着ていたものです。 やはり特別な日なので着てきました!」

何と云う事でしょう!
音楽監督9年のスタートとなった伝説の「復活」の練習初日に着ていたジャケット・・・

これまたオシャレな監督ならではのこだわり。

2003年5月に監督就任記念演奏会で「復活」を演奏した後、10月には監督の申し出で実現した、第1回「青少年のためのコンサート」が開催されています。
実に早い動きですね。
翌2004年7月、朝比奈隆の誕生日を記念して演奏したのが“ブルックナー8番”でした。
この演奏はCDになっているので、後になって聴かれた方もいらっしゃるでしょうね。
2005年2月、「スマトラ沖大地震チャリティコンサート」を開催。
このために来日した監督と仲の良いヒラリー・ハーンとの共演が実現しました。
監督のチャリティ精神溢れる行動は、その後も色々な形となって現れます。
そもそも大阪フィルとの出会いがそうですからね


2005年といえば東洋人指揮者として初めてバイロイト音楽祭に出演、ワーグナー/歌劇「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、話題となった年でしたね。
翌2006年は忘れられない年となりました。
4月に「星空コンサート」、9月に「大阪クラシック」が誕生したのです。
監督が最初からこだわり続けた‘街と音楽との共生’が形になった記念すべき年です。
2007年はあまり思い出したくない年でしたね。
監督が体調不良で定期を2度降板したのがこの年でした。
そんな中にあって「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」を開催しました。
2008年、かつてのホームグラウンド‘フェスティバルホール’閉館記念で“第9”を演奏。 この演奏でフェス50年の歴史にいったん幕を下ろしました。
そのフェスも来年4月に全面建て替えオープンが決まっています! 楽しみですね


2009年、「第4回大阪クラシック」の公演数が前年の65公演から100公演になりました!
2010年、「ブラームス交響曲連続演奏会」開催。
2011年、夢であってほしいと何度願った事か、あの忌まわしい‘東日本大震災’を受けて、4月に「東日本大震災チャリティコンサート」を開催。 その後、市役所で開催した「被災地支援コンサート@大阪市役所」、監督の発案で阪急電車にピアノを持ちこみ、宝塚駅ホームで演奏した事が話題となった「阪急クラシック」など、大植監督のチャリティ精神全開となったコンサートの数々、忘れられません

ミステリーピースが話題となった「チャイコフスキー・セレクション」もこの年でした。
2012年 今年です。
1月の「第454回定期」では病気降板のボッセさんに替わり監督が指揮しました。 メンデルスゾーン/“スコットランド”をベートーヴェン/交響曲第3番“英雄”に変えて行いました。
2月定期はベートーヴェン/交響曲第6番“田園”、ストラヴィンスキ/“春の祭典”でした。
そして迎えた 「卒業の日」!、 「卒業の日」!!

この人も卒業です!
2ndヴァイオリントップ奏者 佐久間聡一。
昨日、彼のメッセージを掲載しています。
どうぞご覧になって下さい。

そしてこの人も!
7年半、コンサートマスターとして頑張ってくれました、長原幸太です。

長原幸太に話を聞きました。
長い間お疲れさまでした。 大阪フィルを離れて何をするのですか?
「7年半ですか、長かったような短かったような。 自分なりに持てる力は注ぎ込み、一生懸命やってきたつもりです。 このへんでもう一度自分のペースで音楽をやってもいいのかなと思い、決めました。 拠点を関東に置きヴァイオリニストとして室内楽やソリスト、コンサートマスターなど幅広く活動していこうと考えています。 海外での仕事も決まっています。 おかげさまでスケジュール埋まっていますので、どうぞご心配なく(笑)。」
最後の曲がブルックナーの交響曲第8番ですね。 いかがですか?
「こういった曲はオーケストラにいないと出来ません。 色々な作曲家の作品を演奏させて頂きましたが、大曲ですね。 また大阪フィルとは切っても切れ無い曲。 最後を飾るに相応しい曲だと思います。 弾くのは3度目でしょうか。 大植監督の指揮でCDが出ているので、皆さんはそちらを聴かれてイメージが出来ているかもしれませんね。 しかし今回の演奏はまた違うと思いますよ(笑)。 あれから(2004年7月)随分監督の音楽も変わったのではないでしょうか。 また演奏している私たちも成長しています。 プロの音楽家として思う事は、来て頂いたお客様の全部とは言いませんが、少なくとも半分以上の方には喜んでもらいたい。 そういう意味でも、期待に応えるだけの演奏をお聴かせしたいと思います。」
今回、大植監督が音楽監督から桂冠指揮者に成るタイミングでの退団ですね。 監督に対して思う事はありますか?
「大植監督の大阪フィルでの貢献度は抜群に高いと思いますよ。 ‘大阪クラシック’や‘星空コンサート’なんかは大植さんでなければ出来なかったでしょう。 発想が面白く企画力がある。 常に変化を好まれる。 変わる事を恐れない。 普通ならつい安定を求める傾向にあるのではないでしょうか。 同じ事をやりたくない。 演奏もそうですね(笑)。 大植さんと一緒にやって来れてとても勉強に成りました。 本当に幸せでした!」
最後にファンの皆さまへメッセージをお願いします。
「大阪フィルのファンの皆さまは、いつも温かくその笑顔に何度も助けられました。 本当に感謝しています。 大阪フィルは本当に凄いオーケストラです。 練習までとは全然違う奇跡のような音楽を本番で作り出す瞬間をこれまで何度も見てきました。 どうか変わらず応援をお願いします。 私も、関西で演奏させて頂く事もあるでしょうし、その時は聴いて頂ければ幸いです。 まずは明日のブルックナー、お楽しみください。」
長原幸太には随分と助けて貰いました。
「その経験が自分を成長させた」 とガハハハといつものように大笑い

先日の「青少年のための音楽祭」のように、ソリストとして大阪フィルと共演する機会もあるでしょう。
と言うか、ありますね。
「甦る大阪の響き~大栗裕没後30年記念演奏会~」(4/20 ザ・シンフォニーホール)で大栗裕の協奏曲を弾きます。
これからの長原幸太の今後の活躍を祈り、エールを送ります


(C)飯島隆
さあ、いよいよこの日がやって来ました。
「大植英次スペシャルコンサート」本番当日です。
流れのままに1日を過ごしていきたい、今はそう思っています。
皆さま、一緒にコンサートを楽しみましょう!
では、会場のザ・シンフォニーホールでお待ちしております
